ポラリティセラピーを創始した,Dr.ランドルフ・ストーンの生涯とその先見性

Dr.
ストーンは1890年,オーストリアで生まれました。8歳のころ,家族と共にアメリカへ移住。アメリカ中西部で成長しました。聖書を読むことによって英語の勉強をしたストーン少年は,最初,ルーテル派の牧師になろうとしていましたが,医療関係に進むことを決意し,1920年代始めまでに医者となるための資格を修得しました。彼が取得した医療資格は,D.O.(Doctor of Osteopathy・オステオパシー医), D.C.(Doctor of Chiropractic・カイロプラクティック医), N.D.(Doctor of Naturopathy・自然療法医(注1))です。彼は常に勉強し続けた人で,後にマッサージや助産婦(助産夫)の資格も取りました。また,その蔵書と読書量は膨大で,長年にわたり,神知学協会(注2)の図書委員を務めました。

さて,シカゴで開業したDr.ストーンは,一度直った患者が舞い戻って来るのを見て,完全に直すにはどうしたらよいか,古今東西の医学を研究し始めます。世界中のあらゆる文化圏の医療を精力的に研究し,“何であれ,効くものは,良い!”をモットーに,偏見無く診療に加えていったのです。彼の,西洋医学だけにとらわれない非常套的診療は,他の医者に見放された患者や何をやっても治らなかった患者を含め,多くの人々から評判を得,患者がつめかけました。Dr.ストーンは引退するまで,50年以上にわたりシカゴで診療を続けました。

1947年, Dr.ストーンは“エネルギー:ヒーリングアートにおける生命のポラリティ” と題する最初の本を出版し,その中でエネルギーの極性とそれが治癒にもたらす効果について発表しました。1954年までに7冊の本を出版し,1950年代を通しては,医学界において理論の発表を試みましたが,受け入れられませんでした。
そのあたりの事情が,「いのちの輝き:フルフォード博士が語る自然治癒力」(翔泳社)の中に書かれています。著者のDr.ロバート・フルフォードは,ホリスティック医学を唱えるDr.アンドルー・ワイルが「癒す心,治る力」の中で紹介したオステオパシー医で,Dr.ストーンより15年ほど後に生まれた方です。本によると,1920年代ぐらいまでに,アロパシー医 (M.D.) (注3)が結成したアメリカ医師会の力が強まり,それまで対等だった他の学派,つまり,オステオパシーやホメオパシーやナチュロパシー等を排斥していった,とあります。20世紀後半になって,オステオパシーも徐々にその権利を取り戻し,各州政府の認可を受けられるようになっていったそうですが,Dr.ストーンが医師達に講演を試みた1950年代は,アロパシー医と医薬品業界の天下で,アロパシー以外の考え方,生命エネルギーとか,東洋の医学とかに耳を傾ける医師は皆無だったわけです。Dr.ストーンは医師達の理解を得られなかったことに深く失望しましたが,「治癒に対するエネルギー的概念は,普通の人の思考パターンには新しすぎて,彼らの基本的な考え方や見方を変えるには時間がかかるだろう。」と言っています。

Dr.
ストーンが論じていたことは今で言う,ニューパラダイム,或いはニューフィジクスと呼ばれることです。彼は,他文化圏の医学のなかでも,特に,古代インドから伝わるアーユルベーダに感銘を受け,エネルギー(プラーナ・気)の概念が治癒のカギを握っていることに気づきました。人間の身体は固体ではなく,常に動いているエネルギーパターンが織りなすシステムであると説きました。病気や痛みはこのエネルギーの流れに起こった滞りで,滞りが無くなって自然な流れに戻れば治癒がおこると説きました。彼は長年の診療を通して,手技によってエネルギーの流れを復旧する方法を研究し,その基幹をなすものが,人間のエネルギーフィールドに生ずる+・中性・−のポラリティ(極性)を利用する手法でした。治療ではなく治癒(ヒーリング)をめざした点,人間を1つの統合的エネルギーシステムと捉えた点,ヒーリングの中心に精神性をおいた点等が,従来の医療と考え方を全く異にするところであり,ごく最近になってから世界中で提唱され始めたホリスティック医療の先駆けと言えるでしょう。

注1)自然療法:薬剤を用いず,食事・運動・温熱等により治癒させる療法。
注2)神知学協会:1875年にNYで創設された団体。主にバラモン教と仏教の教えに基づく世界的な折衷宗教を唱えた。
注3)アロパシー:対症療法。いわゆる現代医学,或いは西洋医学。